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ハワイの歴史

みなさまALOHA!

今回はハワイの歴史について簡単にお話ししたいと思います。

ハワイ州は1959年に米国の50番目の州として登録をされました。米国において最も新しい州です。

目次


ハワイ諸島の誕生

 ハワイ諸島は、500万年から600万年前に海底火山の隆起によりカウアイ島、ニイハウ島が誕生し、350万年前にはオアフ島、モロカイ島、ラナイ島、150万年前にマウイ島、50万年前にはハワイ島が誕生しました。 島の数は全部で132島。観光客が訪問できるのは、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、マウイ島、ラナイ島、ハワイ島の6島です。


ハワイ島最初の住人


約1500年ほど前にポリネシア人がマルケサス諸島から、潮の流れ、雲の動き、月、太陽、星の明かりを頼りにした航海術を使い、牛飼い座のα=アークトゥルス(ハワイ語でホクレア(喜びの星))を目印にして、約3200㎞の長い距離をカヌーを漕いで無人島だったハワイ島へ初めて渡った人々だといわれています。


その約500年後には、タヒチから多くの人々がハワイに移住してきました。この時も星の明かりを頼りに、約4,000㎞の距離をカヌーでやってきたといわれています。

この頃、宗教や、カプ制度、アリィ(王族)、カフナ(神宮)、マカアイナナ(平民)、カウバ(奴隷)の4つの身分制度が出来たとされる。

カプについて
タブー、禁止、ルールなど、女性に禁止事項の多い掟であった。例えば、女性と男性が一緒に食事をしてはいけない。女性はバナナ、豚肉、赤身の魚、ココナッツなどを食べてはいけない。ヘイアウ(神殿)に立ち入ってはいけない。王族の影を踏んではいけない。等々細かい制約が沢山あった。

探検家ジェームズ・クックの来航

1778年には、イギリス人のジェームズ・クック(通称キャプテン・クック)が、カウアイ島のワイメア湾に西欧人として初上陸。ハワイ諸島の存在は当時の西欧では知られておらず、この頃から西欧人が来航するようになったといわれている。クックの支援ををしたサンドイッチ伯爵の名前をとって、サンドイッチ諸島と名付けられた。                                      クックがハワイに着いた時期は、ちょうど1年の中で一番大きな行事のマカヒキ祭りが行われており、白い帆を掲げた大きな船に乗ってやってきた彼らは、ロノ神様の来航だと仰がれ盛大に歓迎をされたのでした。


1779年2月、クック一行は再び航海に出て間もなく嵐に見舞われ、船が故障した為ハワイのケアラケクア湾に引き返した。すると、島民たちは祭りが終わったのに帰ってくるなんて、クックは神様ではないのか?神の船が故障するはずがないと混乱し、以前のような温かい歓迎はしなかった。そんな折、島民にボートを盗まれる事件が起こり、カラニオプウ王をボートと引き換えに人質にしようとした。酋長が殺されたという噂を流されたクック一行は、さらに島民たちと衝突し争い、クックは殺害されてしまった。50歳でした。

さて、今回は、ハワイの歴史についてお話しました。
みなさまのお役に立てたらうれしいです。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
MAHALO~♡

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